⑲1578島津との合戦で大友軍に従軍

19大友軍の内情

 大友宗麟が家督を継いだのは1550年二階崩れの変として知られる父大友義鑑が家督相続をめぐり家臣から殺害された事件によります。家中はスタートの時点から波乱を含んだものでした。

 その後も大友家内には有力な家臣たちがおり、宗麟が強力なリーダーシップで家臣団を引っ張っていくというのはなかなか難しい状況でした。

 

耳川の合戦の舞台になった高城(島津家久陣)

高城より合戦の舞台となった川を見下ろす