⑨イエズス会医療禁令で開拓伝道士に

9開拓伝道士アルメイダ

 イエズス会は、聖職者が人間の生命に直接係わる医療の施術と生死の判決を行う裁判官職を禁止しました。この医療禁令が日本に届くと、アルメイダは、折角軌道に乗せた豊後府内病院から退去することになります。

 この後アルメイダは、開拓伝道士として、布教が困難と思われていた場所に派遣され、次々と伝道の道を拓いていきます。

 

博多:1561年6月初旬、博多に18日間滞在し、約70人をキリシタンとする。

 

度島:2週間伝道。ザビエルが種を播き、ビレラ神父により約500人の信徒がいたが、未信者8名を入信させ、全島キリシタンの島となった。

 

生月島:この島は2500人ほどの住民がいて、このうち800人がキリシタンであった。アルメイダはここの教会堂で朝夕2回説教や教義を説いている。

 

平戸:度島・生月島布教の合間をみて、対岸平戸島の獅子・飯良・春日村を巡回。領主松浦隆信の「南蛮貿易は歓迎するが布教は反対」との意向を見抜き、平戸に代わる港の選定を開始。

 

薩摩:1561年12月、領主島津貴久の依頼で薩摩を訪問。南林寺高僧の眼の治療を行い交流。この僧の紹介で領主の家臣等36名ほどが入信し、教会が建てられた。1563年4月まで鹿児島で布教を行ったが、トルレス布教長の命で豊後に帰る。(大村純忠と会い、布教を進めるため。)